ROOTS
ものづくりへのルーツ
“空飛ぶ車”
―ものづくりの道を極める職人松尾琢磨の原点は何だったのか。
「幼いころからモノ作りは好きで、5歳ぐらいのころ近所の住宅を建てている大工さんのところに行き、落ちている木を拾って車に近い形の木のかたまりに、飛行機のつばさみたいな板を釘でうちつけ、“空飛ぶ車”を作りました。
自分的にはとてもかっこよくできたと思い、マジックで一生懸命塗ったことまで鮮明に覚えています。」
「保育園の卒園証書には、“モノづくりの発想が新しく、面白い”と、その空飛ぶ車の事が書かれていたんです。卒園証書が僕の中で生まれて初めていただく“賞状”のように感じ、もしかしたらそれがモノづくりの職人をめざす最初のきっかけだったかもしれません。」
―幼少期の鮮明な記憶。生まれてはじめての特別な勲章(卒園証書)が少年を動かしたんですね。
ROOTS
ジュエリーの道に入ったきっかけ
ジュエリーの職人は単純にあこがれからはじまったような気がします。
「もし自分で作ることができたら・・・」
と知人のつてをたどり学べる場所を探し、見つけ出せたのが小さな工房のひとりの職人でした。
もちろんすぐには教えてもらうことはできず、最初は掃除やお手伝いをさせてもらえるところからはじまり、少しずつジュエリーの事を覚えていきました。
少しずつ技術を積み重ね、ほかのブランドの下請けとして商品をつくるお仕事をもらえるようになったころ、「いつか自分自身のブランドをもつなら、どんな事を伝えられるブランドであるべきか」を考えるようになりました。
もう私がブランドを立ち上げる意識を持ち始めたころには世界には多くのジュエリーブランドがあふれかえっていたからです。
BRAND
挫折や失敗の上に、今のプアアリというブランドがある
もちろん恵比寿に店舗を構えた最初は失敗ばかりでした。
今になってわかることですが、ほんとうに何も知らない職人がブランドを作り上げる事の本当の意味を全く分かっていなかったという感じです。
すこし恥ずかしい話ですが、最近やっとブランドというものがわかってきたような気がします。
“創業者の思い”ももちろんあってもいいのですが、それよりも大切なことは、同じブランドにかかわる“スタッフたちの思い”、そしてそこに足を運んでいただいた“お客様の思い”。
この3つの“思い”がゆっくりと交わりながら成長してきた。
それがいま私自身がプアアリの職人として感じている事です。
これからもこの3つの思いを大切にしながら成長を続けていき、皆様に育てていただければと思っています。
CRAFTS
「プアアリのジュエリー」を作る上でのこだわり
たくさん作れないジュエリーでいい。
それが私たちプアアリのジュエリーです。
工業製品のように作られるジュエリーは、多くの人に楽しんでもらえるジュエリーとしてこの業界の発展に大きく寄与してきました。誰にでも気軽にジュエリーを楽しむことができる。それは多くの先駆者のブランド達のおかげです。
プアアリのジュエリーは“彫りが深く密度が高いハワイアンジュエリー”として認知されています。
そのこだわりは何か特別な事を必要としているわけではありません。ゆっくり時間をかけて作る。これだけです。
深く彫るのには時間がかかります。密度を上げていくのも時間がかかります。
“時間をかけて作り上げていること”がプアアリのジュエリーのこだわりなのです。
BONFIRE
職人の愛用品
―そんな職人がプライベートで愛用しているものとは。
「焚き火台。もういったい何個の焚き火台を試してきたことか。携帯性が高い軽い焚き火台、重いけど何十年も使えそうな焚き火台。今でもいくつかを自分なりに使い分けています。
夏から薪も準備します。近くの造園屋さんから雑木をもらい時間をかけて乾燥をさせた薪を作ります。理由は天気がいい日は昼も夜も自然の中が気持ちいいからです。
昼間は海や木々に囲まれている事で幸せを感じます。夜は星の下で焚き火を囲みながら仲間とお酒を飲みながら、意味があるようなないような話をしながら過ごす時間が小さいけど幸せを感じるからです。ちょっとでもいいから自然を感じる空間が大好きです。」
―自然の中に自分を解き放ち、その世界に集中する。
太陽が昇り沈んでいく。自然の営みから得た英気をまたものづくりに注ぐ。
そんな時間がプアアリというブランドの空気を作り出している。
TO THE NEXT
技術や思いを受け継ぐ人達へ・・・
私は“職人でいる事が半分、技術を伝える師でいられる事が半分”このバランスがちょうどよいと考えています。
自分と向き合って技術を高めていく職人。そしてその磨き上げた技術をお客様に評価されそれを学びたいという人が生まれ、師になれる。
覚えたことを自分だけの知識にせず、切磋琢磨して磨き続けてこそ、次の世代に受け継がれていく技術になる。
だから人材の育成には創業時から力をいれてきました。
私のもとを卒業していった職人たちはもうすでに多くのブランドで活躍をしてくれています。それは私たちの教育ビジネスの方をご覧いただけるとわかるかと思います。
ただ本当に大切な事は技術ではないのかもしれません。
その職人ひとりひとりの本当の意味での“こころの形”を磨き上げていくことが、お客様にとっても、そして技術を受け継いでいく人たちにとっても大切なことなのかもしれません。
松尾 琢磨(まつおたくま)
平成11年、東京目黒にて宝節生産における最新設備を使いこなす事を目的とした工房を設立。のちにジュエリースクールを開校。
伝統技法の枠にとらわれずいち早くジュエリーCADの重要性などを後進に伝えていく環境を整えた。自ら店舗経営・ネットショップ経営を通じて得た経験をもとに、起業・独立を視野に入れた宝節業界の若手を育成するカリキュラムを場成し、宝節メーカー・小売店など、現場からも支持を得ている。2005年、東京恵比寿にてプアアリの礎となるブランドをオープン。自らハワイアンジュエリーのHawallan Engraver として、数多くのハワイアンジュエリーを生み出してきた。
技術を継承しながら今もなお、Master Engraverとしてジュエリーに思いを刻み、新たな開拓をし続けている。
Craftsmanship_Takuma Matsuo